多国籍化する「立体的コミュニケーション」 CS経営(その37)

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◆なぜ、あの企業の「顧客満足」はすごいのか

6. 多国籍化する「立体的コミュニケーション」華道・一葉式いけ花

(1) いけばなの歴史をざっくり振り返る

 いけばなの歴史には諸説ありますが、1462年から、いけばなの歴史は始まったともいわれています。聖徳太子が創建したと伝えられる六角堂(頂法寺)は、池坊が代々住職を務め、いけばな発祥の地とされています。六角堂の北側は聖徳太子が沫浴した池の跡とされ、そのほとりにあった住坊が池坊と呼ばれるようになりました。
 
 太子に仕えていた小野妹子が出家してここに入ったといわれています。小野妹子は飛鳥時代の政治・外交家で、聖徳太子に任命され、遣隋使としても活躍した人物です。池坊はいけばなのルーツとされていますが、なぜ池坊と呼ぶのか。これにも諸説あり、聖徳太子の創建と伝えられている京都六角堂法隆寺の坊(お坊さん)の名称で、池のほとりに住まいを構えていたために池坊と呼ばれるようになったといわれます。およそ550年前に遡るのです。
  
 いずれにせよ、朝夕に六角堂に花を添える行為を、代々つないできたのが、いけばなのルーツだといわれていて、平たくいえば、神仏に捧げる供花が次第に形を整えていき、現在のいけばなにつながってきたと考えられ、「おもてなし」のルーツの一つといえます。
 
 平安時代、花合わせがはやったのですが、花合わせは人々が左右に分かれ、花を持ち寄り花の様子を見て優劣を競い合い、合わせてその花の風情を見て和歌を詠んだのですが、ルーツをたどると、始めに使用された花は桜であったらしいのです。また、中世において七夕の節会に唐物花瓶に草花を挿して並べ、これを愛で、その後で公家がそれぞれ花を縁側などに並べて鑑賞する風習となったのですが、これもまた花合わせと称しました。
 
 これが時の流れと共に一般的にも人々が花器にいけて楽しむようになり、住まいに花を飾る風習が芽生えました。当時の日本家屋は、自然との調和、融和という発想に基づき、季節ごとの日照、風向き、温度、湿度などの変化を考慮し、それに合った部屋づくりがなされ、自然との一体感を大切にしていました。いけばなは季節の移り変わりを家屋に融和させ、また住む人が自然との一体感を楽しみ、心の充実を味わうようになりました。
 
 その後、池坊専明を経て、口伝を含め発展形態をたどってきましたが、このいけばなの技術、知識はさまざまな分野に浸透し、日本のモノづくり、おもてなしにも大きな影響を及ぼしました。その影響は、職人技など、さまざまな工芸、芸術等の分野に話を元に戻すと、江戸の前期、池坊専好は「立花」の気風と風格を高め、江戸中期には池坊専定がいけばなの様式を確立しました。
 
 「立花」とは、木を山、草を水の象徴として多種多様の草木を一瓶の中に自然の景観美としてこの世の森羅万象を表す様式を指し、四季折々に咲く花や豊かな緑は、それが単独で存在しているのではなく、大地、太陽、水などの自然と一体となって調和する様子と捉え、自然との摂理を立花として室町時代に成立させた最も古いいけばなの様式です。
 
 ところで、華道・一葉式いけ花の華道理念は、こうして大地に生えている植物を器という地に蘇らせることにあります。草花や樹木のみに限らず、時には陶器・磁器・金属なども材料として捉え、これらを総称して「植」としています。「花」を中核にした「おもてなし」最大化に、いかに心を配っているかがわかる組み合わせです。
 
 さて、物事には間があります。空間、時間、関わり方、バランスなどがあります。こうしたことを総称して「間」として捉えています。人により感じ方がさまざまなのは当然であり、これがまた感性の相違として作品に表れます。
 
 すなわち「植間」は、花をいけるうえで、自分なりの。『間』を意識して、『植』の良さや表情を捉える姿勢を意味したものです。また、一葉式いけ花では、人それぞれの「おもてなし」に対する心くばりを考えると、一人ひとりの個性と感性を大切にするためにも流派にとらわれずに学び、そのうえでいつしか自分「式」に花がいけられるようにという考え方のもと、「一葉流」ではなく「一葉式」としています。
 
 いかに自然と人との融合をはかっているかおわかりいただ...
 
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◆なぜ、あの企業の「顧客満足」はすごいのか

6. 多国籍化する「立体的コミュニケーション」華道・一葉式いけ花

(1) いけばなの歴史をざっくり振り返る

 いけばなの歴史には諸説ありますが、1462年から、いけばなの歴史は始まったともいわれています。聖徳太子が創建したと伝えられる六角堂(頂法寺)は、池坊が代々住職を務め、いけばな発祥の地とされています。六角堂の北側は聖徳太子が沫浴した池の跡とされ、そのほとりにあった住坊が池坊と呼ばれるようになりました。
 
 太子に仕えていた小野妹子が出家してここに入ったといわれています。小野妹子は飛鳥時代の政治・外交家で、聖徳太子に任命され、遣隋使としても活躍した人物です。池坊はいけばなのルーツとされていますが、なぜ池坊と呼ぶのか。これにも諸説あり、聖徳太子の創建と伝えられている京都六角堂法隆寺の坊(お坊さん)の名称で、池のほとりに住まいを構えていたために池坊と呼ばれるようになったといわれます。およそ550年前に遡るのです。
  
 いずれにせよ、朝夕に六角堂に花を添える行為を、代々つないできたのが、いけばなのルーツだといわれていて、平たくいえば、神仏に捧げる供花が次第に形を整えていき、現在のいけばなにつながってきたと考えられ、「おもてなし」のルーツの一つといえます。
 
 平安時代、花合わせがはやったのですが、花合わせは人々が左右に分かれ、花を持ち寄り花の様子を見て優劣を競い合い、合わせてその花の風情を見て和歌を詠んだのですが、ルーツをたどると、始めに使用された花は桜であったらしいのです。また、中世において七夕の節会に唐物花瓶に草花を挿して並べ、これを愛で、その後で公家がそれぞれ花を縁側などに並べて鑑賞する風習となったのですが、これもまた花合わせと称しました。
 
 これが時の流れと共に一般的にも人々が花器にいけて楽しむようになり、住まいに花を飾る風習が芽生えました。当時の日本家屋は、自然との調和、融和という発想に基づき、季節ごとの日照、風向き、温度、湿度などの変化を考慮し、それに合った部屋づくりがなされ、自然との一体感を大切にしていました。いけばなは季節の移り変わりを家屋に融和させ、また住む人が自然との一体感を楽しみ、心の充実を味わうようになりました。
 
 その後、池坊専明を経て、口伝を含め発展形態をたどってきましたが、このいけばなの技術、知識はさまざまな分野に浸透し、日本のモノづくり、おもてなしにも大きな影響を及ぼしました。その影響は、職人技など、さまざまな工芸、芸術等の分野に話を元に戻すと、江戸の前期、池坊専好は「立花」の気風と風格を高め、江戸中期には池坊専定がいけばなの様式を確立しました。
 
 「立花」とは、木を山、草を水の象徴として多種多様の草木を一瓶の中に自然の景観美としてこの世の森羅万象を表す様式を指し、四季折々に咲く花や豊かな緑は、それが単独で存在しているのではなく、大地、太陽、水などの自然と一体となって調和する様子と捉え、自然との摂理を立花として室町時代に成立させた最も古いいけばなの様式です。
 
 ところで、華道・一葉式いけ花の華道理念は、こうして大地に生えている植物を器という地に蘇らせることにあります。草花や樹木のみに限らず、時には陶器・磁器・金属なども材料として捉え、これらを総称して「植」としています。「花」を中核にした「おもてなし」最大化に、いかに心を配っているかがわかる組み合わせです。
 
 さて、物事には間があります。空間、時間、関わり方、バランスなどがあります。こうしたことを総称して「間」として捉えています。人により感じ方がさまざまなのは当然であり、これがまた感性の相違として作品に表れます。
 
 すなわち「植間」は、花をいけるうえで、自分なりの。『間』を意識して、『植』の良さや表情を捉える姿勢を意味したものです。また、一葉式いけ花では、人それぞれの「おもてなし」に対する心くばりを考えると、一人ひとりの個性と感性を大切にするためにも流派にとらわれずに学び、そのうえでいつしか自分「式」に花がいけられるようにという考え方のもと、「一葉流」ではなく「一葉式」としています。
 
 いかに自然と人との融合をはかっているかおわかりいただけることでしょう。なお、日本いけばな芸術協会では「いけばな」としているが、流派によりその表記は異なります。ちなみに一葉式は「いけ花」ですが、それぞれの流派によりその趣は異なっています。
 
 いけばなは、現在、流派も多岐にわたり、各流派がそれぞれの特性を持ち、各々が独自の分野を構築し、活躍しており、日本文化の一環として引き継がれていますが、このいけばなをまとめているのが、公益財団法人日本いけばな芸術協会であり、この協会の名誉総裁は常陸宮妃殿下、副総裁は豊田章一郎氏、会長・遠山敦子氏、副会長・池坊由紀氏ならびに勅使河原茜氏顧問・石川晴彦氏ならびに服部悦子氏です。同様に一般社団法人いけばなインターナショナルの名誉総裁は高円宮妃久子殿下で、その会の名のとおり、世界に輪を広げている組織です。
 
 次回は、(2) 日本の伝統文化の何が問題か、単独活動の弊害から解説を続けます。
 
【出典】 武田哲男 著 なぜ、あの企業の「顧客満足」は、すごいのか PHP研究所発行
筆者のご承諾により、抜粋を連載
  

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この記事の著者

武田 哲男

常に顧客を中核とする課題取組みにより「業績=顧客の“継続”支持率達成!」 「顧客との良質で永いご縁の創造」に取組んできた。モノづくりとサービスの融合に注力。

常に顧客を中核とする課題取組みにより「業績=顧客の“継続”支持率達成!」 「顧客との良質で永いご縁の創造」に取組んできた。モノづくりとサービスの融合に注力。


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