CS経営(その18)「おもてなし」のルーツ

◆技術力で勝る海外勢が、なぜ、日本の「おもてなし」に負けるのか。

1. 「日本流おもてなし文化」は武器になる

(2) 「おもてなし」のルーツはどこか

 とくに姿形がないからこその範囲を伴わない深遠な神に感謝する気持ちは、「手抜きをしない」「最高の努力をする」「心を込める」「何かをもって成し遂げる」「無心の気持ちで誠心誠意」という、物事に真摯に、そして無心に取り組む姿勢へとつながっていったのです。
 
 「持て成し」は、神のために走り回り、そのときに入手可能な思いのこもった最高の食材や器(神器)を探し回ることから生まれた表現だということです。そして、神を敬う気持ちから「お」をつけ、「お持て成し」とし、敬う表現をするために「おもてなし」の文字としたといえるでしょう。
 
 つまり、今でいえば、「旬の食材を探し、最高の調理を行ない、それを神に捧げるにふさわしい、料理に合った器に盛る」がおもてなしとなるのです。かつての日本人は、料理と同様に商品づくりに関しても、神に捧げる器、すなわち神器づくりのために、どのような素材がふさわしいかを探し歩き、その素材に最も適した加工を加え、機能面のみならず、見た目の美しさを表現することにも傾注し磨きをかけただろう。それぞれの時代において、竹、檜、石、貝、漆などの素材は、神が宿るものとして大切にされたのです。
 
 
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 さらに、笹の葉、ワサビ、お茶、赤ジソ、除虫菊、丁子などの殺菌効果のある素材の発見は、味覚のみならず、生ものの腐敗を防ぐ作用をもたらしたのです。現在から見れば想像するのは難しいかもしれないが、いずれも「おもてなし」の心とつながっている事柄だと私は考えています。
 
 たとえば、本書でも紹介するTOTO株式会社のウォシュレットの陶器は、その表面のきめ細かさがナノクラスであり、排泄物が付着しないよう作り込まれています。そもそも、日本の神は、草、樹、岩、山など、八百万の神と称するように、何にでも宿っているという捉え方がされているから、そのような気持ちが顧客を思う気持ちにつながるのでしょう。とかく海外の神は、人の形をしているか、あるいは動物の姿に置き換えている例が多いように思いますが、日本の場合は姿形がなく、しかも何にでも神が宿るから、「針供養」「櫛供養」「箸供養」などといった「感謝の念」と、「使用できなくなり命を失ったが、神は宿っている」という考えに基づく、供養へとつながるのです。
 
 これらは、神は何にも勝る別格の位置づけにあることを示しています。そして、こうした捉え方が、製品づくり、おもてなしに溶け込んでいるのです。
 
 一方、海外の神の場合、姿形があるからこそ、努力すれば神をも凌ぐことができるという発想につながるのではないでしょうか。巨大な教会を作り、周囲に植栽を施し、中に神を祭るのです。すなわち、人間のコントロール下に神を収める発想、たとえば、宇宙にロケットを飛ばす取り組みなどは宇宙にも勝る人間の力を誇示しているように思えるのは私だけでしょうか。余談が過ぎましたが、詳細については拙書『日本流『おもてなし』文化は世界的資産』(産業能率大学出版部)をお読みいただければと思います。
 
 次回は、(3) 高い教養が想像力を生む、から解説を続けます。
 
【出典】 武田哲男 著 なぜ、あの企業の「顧客満足」は、すごいのか PHP研究所発行
筆者のご承諾により、抜粋を連載

この記事の著者

武田 哲男

常に顧客を中核とする課題取組みにより「業績=顧客の“継続”支持率達成!」 「顧客との良質で永いご縁の創造」に取組んできた。モノづくりとサービスの融合に注力。

常に顧客を中核とする課題取組みにより「業績=顧客の“継続”支持率達成!」 「顧客との良質で永いご縁の創造」に取組んできた。モノづくりとサービスの融合に注力。

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