国際生産成功のための基本的要点(その1)

これは筆者が20数年前にIEレビュー誌の特集に寄稿したものです。そんな昔の話なんて!といわれる方が多いかとも思いますが“温故知新”。筆者は、現在まで海外を中心に技術指導を続けておりますが、この小文をバイブルのようにしてずっと成功を納めております。少々長い読み物ですので、9回にわけて連載いたしますので、お楽しみ頂ければ幸いです。

要旨 

何事も最初が肝心といわれるが, 特に国際的生産を成功させるには「これを企画し,また初期の運営に携る人たちがどれだけその国の文化・社会構造を理解し,かつその国のためになる企業を育てるという方針に徹しているか」による。この小文は南米・ベネズ エラと東南アジア・シンガポールの経験をもとに基本的要点を論じた。特に後者については合弁会社の社長を18年間やってこられたSさんの体験を多く引用させていただいた。

1.はじめに

 最近は多くの日本人がいろいろな形で外国の人たちと一緒に仕事をする機会が増えてきている。私自身も1979年から現在まで10年間海外関係の仕事をしてきた。前半5年は会社のプロジェクトで南米はベネズエラに前後2回合わせて3年間,それと国内での研修生の受け入れ,後半は国際協力事業団(JICA)のプロジェクトでシンガポールに前後合わせて今日まで4年余,それと国内での研修生の指導,企業の海外派遣予定者の事前研修といった具合である。

日本人は外国に根をおろして仕事をする歴史が浅く,やり方が下手だ。にもかかわらず,海外の貴重な体験はいずれの組織でも本人限りで組織の中に 蓄積される形になっていない。これは 現在の日本の大きな弱点である。海外における失敗も日本の経済が小さかった昔ならば語り草ですませられたろうが,今日のように経済のうえで国際舞 台の主役になってしまった以上は,大きな問題になりかねない。

書きたいことは山ほどあるのに,いざ書きだすとなかなかまとまらない。 結局一番大事なのは「企画・運営に携わる人たちが日本と外国の違いをどれだけよく理解しているかだ」というところに焦点をしぼり,基本的要点を書かせていただくことにした。

2.文化・社会構造の違い

 本来ならば,文化とは,社会構造とは,ときちんと定義して話を進めるべきだろうが,ここでは簡単に「そこの人々の生活に深く根ざしているもの」「社会の仕組み」くらいに軽く考えておいていただこう。  外国で成功するためにはこの文化・社会構造の違いをよく理解して対処しなければいけない。何しろ世界の中で日本だけが極めて特殊な国なのだから,日本でのやり方をそのままやろうとすれば必ずといってよいくらい失敗する。 特に最近のように日本の経済が世界に類をみない発展をし,良い製品を作る技術が世界に冠たるものになってきて, 外国から「日本にはすぱらしい技術や システムがある,それをぜひ導入したい」いわゆる「日本に学べ」と声を高くしていわれるとつい「日本のやり方が世界一でどこへ行ってもそれが一番いいのだ」と錯覚してしまう。これが 一番危険なのだ。

 ところで「文化・社会構造の理解をして」といわれても「いったいどんな違いがあってどう理解したらいいのだ!」 と反発されそうだが,経験豊かなSさんのシンガポール体験譚[1]に耳を傾けつつ話を進めていくことにしよう。 文中『 』は体験譚から直接引用させていただいたものである。

2-1 合弁会社の設立・運営

 1963年,日本は高度成長のさなか, シンガポールがマレーシア連邦のー州として工業化政策を始めたばかりのころから1980年までの18年にわたる体験は,すでに海外進出している企業にとっても,またこれから進出しようとし ている企業にとってもたいへん貴重なものである。

 そのSさんの体験譚より。

 『石川島播磨重工とシンガポール政府の合弁であるジュロン造船所の設立にあたって,私が経営の責任を負う立場でまず考えたのは次のことである。

 合弁事業としては,正当な業績をあげ,進出した側にも受入れた側にもプラスであったという結果を出さねばならないことは勿論であるが,そのため にもこの新しい事業を日本の会社の出店としてではなく,シンガポールの会社として根づかせることがまず第一で ある。

 社名をジュロン(Jurong Shipyard Limited)と日本の親会社とは関係のない名に決めたのも,当時シンガポールが工業化への悲願をこめてジュロン地区に大工業用地を造成中であったので,シンガポール側の意を汲んで決定した。(中略)発足当初の従業員数は約400名で,管理者,監督者のほとんどは日本人をあてざるを得ず,その数は約40名となった。日本人の数は全従業員の約10%であったわけだが,この段階でも 現地化の方針を貫くために社内公用語は英語とした。また日本との公式往復 文書,テレックスなどもすべて英文とし,シンガポール人がそのまま入り込 める体制とした。

 社内の会議ももちろん英語でやり、細かいことで日本人だけ集まって相談することはあっても,決定は必ずシンガポール人を入れた会議で行うようにした。(中略)トップをシンガポール側にゆだねるという考えは,不幸にして3年前シンガポール側のJMD【注1】の病死のため,ここ暫くは見送りとなってい る。目下は日本人1名のみがマネージング・ダイレクターとして社長の仕事を遂行しているが,一方管理職の方は殆どシンガポール人に置きかわり,現在は2,400人の従業員に対し,日本人は約10名となっている。

 今日でもまだ色々な問題は残ってはいるものの、大きな流れとして見ると最初に考えたように「シンガポールの会社」として根づくことはできはじめていると思う。【注2】』

【注1】ジョイント・マネージング・ダイレクター(共同社長)、1971年より日シ双方のトップをJMDとした。

【注2】現在これが完全に実現してい る。

 次回はその2、プロジェクトの契約・運営からです。


この記事の著者

鈴木 甫

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