インテリジェンス・サイクルと特許情報調査活動(その3)

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 前回のその2に続いて今回は、特許情報調査活動の事例を解説します。
 

2. A社における特許情報調査活動

 
 前節で、インテリジェンスの定義として「インフォ メーションを体系化して現れる知識で、企業の判断を可能とするもの」を用いましたが、全世界で毎年200万件以上の新しい情報が公開される特許は、インテリジェンスの貴重な情報源(インフォメーション)です。この特許情報を活用してインテリジェンスを作成する過程について、上記と同じことが言えるのではないでしょうか。この問題に関し、筆者の経験を述べてみます。
 筆者はかつてある企業(以下、A社とする)において、全社的な特許情報調査の定着活動を展開したことがあります。A社では1960年代に特許部を設置した時、部内に特許課に加えて調査課を設置し、そこに10名を超える若手学卒社員を配置し、全社に対する一元的な特許情報検索サービスを実施しました。この背景には、当時、この企業が他の多くの日本企業と同様、成長の原動力の多くを海外からの技術導入に依存しており、新しい導入技術の発見、導入技術に関する権利関係の判断にとって特許情報調査が不可欠の作業であるという現実が存在しました。ところが、1970年代の 半ば以降、技術導入件数の低下、オイルショックをはじめとする幾度かの景気後退等の影響を受け、調査要員数の削減が進行していきました。この調査体制の弱体化は、その後、事業現場における知財トラブルの増加というサイド・エフェクトとなって顕在化しました。1990年代の初めに、この事態の打開のため、「特許 情報調査を数少ないサーチャーに依存するのではなくて、研究者自らが実施すべきである」との考え方が打ち出され、特許情報調査のためのインフラ整備と研究者教育が全社的に展開されました。しかしながら、調査不足による知財トラブルは一向に収まる気配を見せなかった。そこで1998年に、「特許情報調査の 一元的管理体制の復活」が全社決定され、そのための推進母体として知財部の中に「技術情報センター」が設置されました。

 

 
 「技術情報センター」のスタートにあたって、なぜ特許情報調査が十分に行われていないのかを調査したところ、下記のような事実が明らかになりました。
 
 1. 研究者は本業が忙しくて調査業務に十分な時間を割くことができない。
 2. そのため、情報検索・解析業務への習熟が進まず、系統的、体系的、網羅的な特許情報調査を実施す  ることはできない。
 3. 研究者自らが大量の特許情報を読み込むのは大変な労力を要する仕事ですが、かと言って加工された  情報を提供されても興味が持てないし、実際に参考にならないことが多い。
 
 これらの事実は,研究者に一方的に特許情報調査の責任を持たせることは得策ではないこと、また一方で情報担当者が分析まで請け負ってしまうことにも問題があることを示しています。そこで、抜本的に問題を解決するため、「技術情報センター」は次のような方針を採用しました。
 
 1. 研究開発テーマごとに、研究者、特許担当者、情報担当者のグループを作り、グループを構成する三     者が協力してそのテーマに関する特許情報調査活動を推進する。
 2. この三者はグループ内でそれぞれ下記の役割を果たす。 
①研究者は自己の課題を特許担当者、情報担当者に説明するとともに、必要に応じて、技術的説明、関連  する技術タームの説明を行う。
②三者は協力して情報の検索範囲を決定した後、 情報担当者が検索式を立てて情報検索を行う。
③研究者が中心となって検索された情報の読み込み、加工、分析を行う。
④その際、情報担当者は、加工、分析手法に関して支援を行う。
⑤特許担当者は、特許性、侵害性の判断に関して支援を行う。
 
 このようにそれぞれ異なる専門性を有する三者が、インテリジェンス・サイクルにおいて相互に補完的な役割を果たすことを期待したのが、このようなグループを形成した理由です。 この三者の関係においては研究者がいわばカスタマーに相当し、情報担当者と特許担当者が情報サイドに相当しますが、このインテリジェンス・サイクルは、研究者からの要求によって回転を始めるわけではなく、研究を開始するというシグナルが契機となって動き始め、しかも作業は三者の緊密な相互理解の下で、共同で行われるのです。その意味で、これは図1のインテリジェンス・サイクルではなく、図2のそれに相当するということができるでしょう。
 
                          特許
図1.インテリジェンス・サイクル
 
            特許   
図2.改良されたインテリジェンス・サイクル
 
 図3は、この三者のグループが経営と接続する様子を示しています。A社においては事業部門と知財部門との間でいくつかのレベルにわたって共同作業の場(共同作業体)が形成されており、その責任者は事業部門の長です。例えば、事業部長は定期的に特許戦略会議を開催し、そこには事業部傘下の企画部、製造部、開発部、営業部の責任者の他、知財部門の責任者が参加し、知財が絡む問題に関する判断・決定が行われます。部レベルの組織、課・係レベルの組織においても同様の共同作業体が形成され、機能しています。研究者、特許担当者、情報担当者の三位一体は主に課・係レベルの共同作業体を母体として活動し、インテリジェンス・サイクルを回しています。ここで作成されたインテリジェンスが部レベル、事業部レベルの共同作業体に報告され、上部構造における戦略の策定と推進、重要事項の判断と決定に活用されていきます。したがって図3においては、研究者、特許担当者、情報担当者の三位一体が上部構造に対する情報サイドの役割を果たしているということができるでしょう。この関係を図2を用いて模式的に示したものが図4です。
 
             特許
図3.A社における共同作業の場
                                               
     特許
図4.上部と下部の関係
 
       特許
図5.特許率の推移 
 
 図5は2004年にA社が特許庁から提供を受けたデータであり、特許査定率(特許査定件数÷審査請求件 数)の2000年から2004年までの変化を示したものです。これを見ると日本の出願人平均および同業他社の平均が、2000年から2004年にかけて一貫して低 下しているのに対し、A社の場合は2002年以降、顕著な回復傾向を示しています。三位一体の...
 前回のその2に続いて今回は、特許情報調査活動の事例を解説します。
 

2. A社における特許情報調査活動

 
 前節で、インテリジェンスの定義として「インフォ メーションを体系化して現れる知識で、企業の判断を可能とするもの」を用いましたが、全世界で毎年200万件以上の新しい情報が公開される特許は、インテリジェンスの貴重な情報源(インフォメーション)です。この特許情報を活用してインテリジェンスを作成する過程について、上記と同じことが言えるのではないでしょうか。この問題に関し、筆者の経験を述べてみます。
 筆者はかつてある企業(以下、A社とする)において、全社的な特許情報調査の定着活動を展開したことがあります。A社では1960年代に特許部を設置した時、部内に特許課に加えて調査課を設置し、そこに10名を超える若手学卒社員を配置し、全社に対する一元的な特許情報検索サービスを実施しました。この背景には、当時、この企業が他の多くの日本企業と同様、成長の原動力の多くを海外からの技術導入に依存しており、新しい導入技術の発見、導入技術に関する権利関係の判断にとって特許情報調査が不可欠の作業であるという現実が存在しました。ところが、1970年代の 半ば以降、技術導入件数の低下、オイルショックをはじめとする幾度かの景気後退等の影響を受け、調査要員数の削減が進行していきました。この調査体制の弱体化は、その後、事業現場における知財トラブルの増加というサイド・エフェクトとなって顕在化しました。1990年代の初めに、この事態の打開のため、「特許 情報調査を数少ないサーチャーに依存するのではなくて、研究者自らが実施すべきである」との考え方が打ち出され、特許情報調査のためのインフラ整備と研究者教育が全社的に展開されました。しかしながら、調査不足による知財トラブルは一向に収まる気配を見せなかった。そこで1998年に、「特許情報調査の 一元的管理体制の復活」が全社決定され、そのための推進母体として知財部の中に「技術情報センター」が設置されました。

 

 
 「技術情報センター」のスタートにあたって、なぜ特許情報調査が十分に行われていないのかを調査したところ、下記のような事実が明らかになりました。
 
 1. 研究者は本業が忙しくて調査業務に十分な時間を割くことができない。
 2. そのため、情報検索・解析業務への習熟が進まず、系統的、体系的、網羅的な特許情報調査を実施す  ることはできない。
 3. 研究者自らが大量の特許情報を読み込むのは大変な労力を要する仕事ですが、かと言って加工された  情報を提供されても興味が持てないし、実際に参考にならないことが多い。
 
 これらの事実は,研究者に一方的に特許情報調査の責任を持たせることは得策ではないこと、また一方で情報担当者が分析まで請け負ってしまうことにも問題があることを示しています。そこで、抜本的に問題を解決するため、「技術情報センター」は次のような方針を採用しました。
 
 1. 研究開発テーマごとに、研究者、特許担当者、情報担当者のグループを作り、グループを構成する三     者が協力してそのテーマに関する特許情報調査活動を推進する。
 2. この三者はグループ内でそれぞれ下記の役割を果たす。 
①研究者は自己の課題を特許担当者、情報担当者に説明するとともに、必要に応じて、技術的説明、関連  する技術タームの説明を行う。
②三者は協力して情報の検索範囲を決定した後、 情報担当者が検索式を立てて情報検索を行う。
③研究者が中心となって検索された情報の読み込み、加工、分析を行う。
④その際、情報担当者は、加工、分析手法に関して支援を行う。
⑤特許担当者は、特許性、侵害性の判断に関して支援を行う。
 
 このようにそれぞれ異なる専門性を有する三者が、インテリジェンス・サイクルにおいて相互に補完的な役割を果たすことを期待したのが、このようなグループを形成した理由です。 この三者の関係においては研究者がいわばカスタマーに相当し、情報担当者と特許担当者が情報サイドに相当しますが、このインテリジェンス・サイクルは、研究者からの要求によって回転を始めるわけではなく、研究を開始するというシグナルが契機となって動き始め、しかも作業は三者の緊密な相互理解の下で、共同で行われるのです。その意味で、これは図1のインテリジェンス・サイクルではなく、図2のそれに相当するということができるでしょう。
 
                          特許
図1.インテリジェンス・サイクル
 
            特許   
図2.改良されたインテリジェンス・サイクル
 
 図3は、この三者のグループが経営と接続する様子を示しています。A社においては事業部門と知財部門との間でいくつかのレベルにわたって共同作業の場(共同作業体)が形成されており、その責任者は事業部門の長です。例えば、事業部長は定期的に特許戦略会議を開催し、そこには事業部傘下の企画部、製造部、開発部、営業部の責任者の他、知財部門の責任者が参加し、知財が絡む問題に関する判断・決定が行われます。部レベルの組織、課・係レベルの組織においても同様の共同作業体が形成され、機能しています。研究者、特許担当者、情報担当者の三位一体は主に課・係レベルの共同作業体を母体として活動し、インテリジェンス・サイクルを回しています。ここで作成されたインテリジェンスが部レベル、事業部レベルの共同作業体に報告され、上部構造における戦略の策定と推進、重要事項の判断と決定に活用されていきます。したがって図3においては、研究者、特許担当者、情報担当者の三位一体が上部構造に対する情報サイドの役割を果たしているということができるでしょう。この関係を図2を用いて模式的に示したものが図4です。
 
             特許
図3.A社における共同作業の場
                                               
     特許
図4.上部と下部の関係
 
       特許
図5.特許率の推移 
 
 図5は2004年にA社が特許庁から提供を受けたデータであり、特許査定率(特許査定件数÷審査請求件 数)の2000年から2004年までの変化を示したものです。これを見ると日本の出願人平均および同業他社の平均が、2000年から2004年にかけて一貫して低 下しているのに対し、A社の場合は2002年以降、顕著な回復傾向を示しています。三位一体の特許情報活動を開始したのが、2000年前後であることを考えれば、グラフはその効果が現れたことを示しているという ことができます。同業他社もA社とほぼ同様の陣容で知財管理を行っていると推測されるので、ここに現れた差はインテリジェンス・サイクルの組み方にあるのではないかと推測することができます。
 前出の『インテリジェンス入門』、『ビジネス・イ ンテリジェンス』の著者である北岡元氏は、外務省、国際情報局、内閣情報調査室等における長年のイン テリジェンス活動の経験を通して、コンペティティ ブ・インテリジェンス活動が有効に機能するためには、カスタマーと情報サイドとの間の「対話」を通して、情報サイドがカスタマーの利益を理解することが必須要件であることを喝破されたわけですが、 筆者の拙い経験は、北岡氏の卓見の正しさを立証する一例ではないかと思い、ご披露する次第です。
 
  この文書は、科学技術振興機構:「情報管理」vol.53の記事より、筆者が改変しました。

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この記事の著者

鶴見 隆

三位一体の特許情報活動のパイオニア、戦略的データベースの構築を通じて企業の知財力アップを支援します!

三位一体の特許情報活動のパイオニア、戦略的データベースの構築を通じて企業の知財力アップを支援します!


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