技術企業の高収益化: 伝えたつもりの経営者

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人的資源マネジメント

◆ 高収益経営者は、モノゴトをどの程度徹底して実施するのか

 「今度、私がビシッと言いますから」。A社社長(以下、A社長)の数年前の発言です。コンサルタントの私が、会社全体の技術戦略を策定する必要性について説明したときのことでした。

 A社へのコンサルティングでは、技術営業の在り方について「技術マーケティング」による業務変革を進めてきました。その過程で、私は複数の社員から情報収集したのですが、技術マーケティングの前提となる技術戦略がないことが分かりました。

 会社全体の技術戦略がなければ、コンサルティングをしても効果が半減します。そのため、社長との面談の際に私からA社長に水を向けたのです。A社長は「会社全体の技術戦略は、常々、部下に対して伝えてきた」と思っているようでした。そこで私が「技術戦略が社内にないという印象を受けたのですが」と伝えたところ、冒頭のような反応になったというわけです。

 A社長は「私の頭の中のものが共有されていないんですね。今度、ビシッと言いますから」と言いました。しかし私は、A社長のムキになった表情に自信のなさを感じました。社長とはいえ、誰もがいつでも自信満々というわけではありません。社長とは自分の経営に結果が伴うので、常に不安がつきまとう仕事です。自信のない状態は珍しくありません。

 経営者の自信のなさがコンサルタントの私の前で出るだけならまだ良いのです。しかし社員にも見せてしまうと、社員は社長の経営力を見透かしてしまいます。社長や上司の声が上ずっているところを見て「ここが社長(上司)の限界だな」と感じる部下は案外多いのです。部下が意地悪なわけではありません。ほとんどの場合、部下は「何か足りないな」とは思いつつ、何が足りないかは分からないのです。そのため社長に進言できず、違和感を覚えながらも仕事を続けてしまうのです。

1、問題の真因は

 従来A社長は社員に対して「自分の考えを伝えてきた」と言いましたが、それはどうやら伝わっていませんでした。そのため、社員の中では「当社には技術戦略がない」という理解になったのです。

 そうした中で「ビシッと言いますから」とA社長が意気込んだところで、何かが変わることを期待できるはずがありません。A社長が長年「言ってきた」ことは伝わっておらず「言ったつもり」になっていることです。問題なのはA社長が「つもりの人」だということなのです。

 コンサルタントの私も、社長に「ビシッと言いますから」と言われれば一瞬ひるんでしまいます。普通なら「そうですか。では、お願いします」となるところですが、社長の表情と社員の声を考え合わせると、そうはいきませんでした。

 問題の真因は「伝わっていない」状態にあることを社長が認識していないことにあります。正確には「言えば伝わる」と思っていることです。A社は大企業ではありません。しかし会社の規模が小さくても、今回のように上層部が意図したことが伝わっていないことはよくあるのです。

2、技術戦略は社長が語るものではない

 「ビシッと言いますから」という言葉とは裏腹に社長の表情に自信がないように見えたのは、伝え切れている自信がないからだったのかもしれません。というのは、技術戦略というのは言葉で伝え切れるものではないからです。

 技術戦略とは、社長の示すビジョンや方向性を実現するために社員が作っていくものです。ビジョンや方向性は定期的な会議などで10分程度の訓示の中で十分表現できるものです。一方、技術戦略とは、そうしたビジョンや方向性を実現するための具体的な内容であることが一般的です。

 技術戦略を社長が語る必要などないのです。もしかすると、例外的に優秀な社長は頭の中の技術戦略を多くの社員に伝えているのかもしれません。しかし私はそうした社長を知りません。

 技術戦略は社長が語るものではないし、まとめるものでもない。経営者はビジョンや方向性を示すにとどめ「技術戦略は部下に任せる」という腹が必要なのです。どんなに優秀な社長といえども、全てを自分で実行することはできないのです。

 社長が明確なビジョンや方向性をしっかり考えて伝えていれば、社員の実務が自分の示したビジョンと違うことは即座に察知できるものです。もしそれが曖昧(あいまい)であれば、ビジョンと実務の乖離(かいり)に気付かず、社員は違和感を覚えながら働き続けることになるでしょう。

 経営者にとって重要なのは、社員の感じる違和感を察知し、自分のビジョンや方向性が不十分であることを感じることです。

3、方向性やビジョンを示すことは社長にしかできない

 方向性やビジョンというのは、リスクを取った資源配分の端的な表現です。方向性やビジョンを示せば、当然「しないこと」も明確になります。方向性やビジョンを示すことは、リスクを承知で資源を配分することです。つまり、社長にしかできない仕事です。全社員が関わることなので、資源配分の責任は重いものです。そのせいか、ビジョンを示すどころか先送りして日和見するサラリーマン経営者もいるのです。

 A社長に方向性やビジョンと技術戦略との違いを私が説明したところ「なるほど、そういうことですね」と言われ、スッキリと納得してもらえました。若いだけに、自信のない時も言い切ってしまう癖があるようでしたが、社長の仕事をはっきりさせたことで前に進める手応えを感じたようでした。

 私は仕事柄、日和見主義でなかなかリスクを取った資源配分ができない社長も知っています。そのような例とは異なり、その後のA社長の行動には目を見張るものがありました。

 私とA社長でビジョンについて検討しました。するとA社長は重点分野に集中投資するために、これまで実施してきた業務を大胆にやめることを意図したビジョンも立てたのです。コンサルタントの私が「ちょっと大胆過ぎませんか」と言ったほどでした。

 そして新たなビジョンを社内に発表しました。自分のビジョンに自信を持っていたA社長は、ビジョンを実現するための技術戦略策定を社員に求めました。私との打ち合わせ通りです。

 その後A社では、コンサルタントの目線から見ても良い技術戦略を策定できました。A社長が自らのビジョンを明確にし、旗振りを行...

人的資源マネジメント

◆ 高収益経営者は、モノゴトをどの程度徹底して実施するのか

 「今度、私がビシッと言いますから」。A社社長(以下、A社長)の数年前の発言です。コンサルタントの私が、会社全体の技術戦略を策定する必要性について説明したときのことでした。

 A社へのコンサルティングでは、技術営業の在り方について「技術マーケティング」による業務変革を進めてきました。その過程で、私は複数の社員から情報収集したのですが、技術マーケティングの前提となる技術戦略がないことが分かりました。

 会社全体の技術戦略がなければ、コンサルティングをしても効果が半減します。そのため、社長との面談の際に私からA社長に水を向けたのです。A社長は「会社全体の技術戦略は、常々、部下に対して伝えてきた」と思っているようでした。そこで私が「技術戦略が社内にないという印象を受けたのですが」と伝えたところ、冒頭のような反応になったというわけです。

 A社長は「私の頭の中のものが共有されていないんですね。今度、ビシッと言いますから」と言いました。しかし私は、A社長のムキになった表情に自信のなさを感じました。社長とはいえ、誰もがいつでも自信満々というわけではありません。社長とは自分の経営に結果が伴うので、常に不安がつきまとう仕事です。自信のない状態は珍しくありません。

 経営者の自信のなさがコンサルタントの私の前で出るだけならまだ良いのです。しかし社員にも見せてしまうと、社員は社長の経営力を見透かしてしまいます。社長や上司の声が上ずっているところを見て「ここが社長(上司)の限界だな」と感じる部下は案外多いのです。部下が意地悪なわけではありません。ほとんどの場合、部下は「何か足りないな」とは思いつつ、何が足りないかは分からないのです。そのため社長に進言できず、違和感を覚えながらも仕事を続けてしまうのです。

1、問題の真因は

 従来A社長は社員に対して「自分の考えを伝えてきた」と言いましたが、それはどうやら伝わっていませんでした。そのため、社員の中では「当社には技術戦略がない」という理解になったのです。

 そうした中で「ビシッと言いますから」とA社長が意気込んだところで、何かが変わることを期待できるはずがありません。A社長が長年「言ってきた」ことは伝わっておらず「言ったつもり」になっていることです。問題なのはA社長が「つもりの人」だということなのです。

 コンサルタントの私も、社長に「ビシッと言いますから」と言われれば一瞬ひるんでしまいます。普通なら「そうですか。では、お願いします」となるところですが、社長の表情と社員の声を考え合わせると、そうはいきませんでした。

 問題の真因は「伝わっていない」状態にあることを社長が認識していないことにあります。正確には「言えば伝わる」と思っていることです。A社は大企業ではありません。しかし会社の規模が小さくても、今回のように上層部が意図したことが伝わっていないことはよくあるのです。

2、技術戦略は社長が語るものではない

 「ビシッと言いますから」という言葉とは裏腹に社長の表情に自信がないように見えたのは、伝え切れている自信がないからだったのかもしれません。というのは、技術戦略というのは言葉で伝え切れるものではないからです。

 技術戦略とは、社長の示すビジョンや方向性を実現するために社員が作っていくものです。ビジョンや方向性は定期的な会議などで10分程度の訓示の中で十分表現できるものです。一方、技術戦略とは、そうしたビジョンや方向性を実現するための具体的な内容であることが一般的です。

 技術戦略を社長が語る必要などないのです。もしかすると、例外的に優秀な社長は頭の中の技術戦略を多くの社員に伝えているのかもしれません。しかし私はそうした社長を知りません。

 技術戦略は社長が語るものではないし、まとめるものでもない。経営者はビジョンや方向性を示すにとどめ「技術戦略は部下に任せる」という腹が必要なのです。どんなに優秀な社長といえども、全てを自分で実行することはできないのです。

 社長が明確なビジョンや方向性をしっかり考えて伝えていれば、社員の実務が自分の示したビジョンと違うことは即座に察知できるものです。もしそれが曖昧(あいまい)であれば、ビジョンと実務の乖離(かいり)に気付かず、社員は違和感を覚えながら働き続けることになるでしょう。

 経営者にとって重要なのは、社員の感じる違和感を察知し、自分のビジョンや方向性が不十分であることを感じることです。

3、方向性やビジョンを示すことは社長にしかできない

 方向性やビジョンというのは、リスクを取った資源配分の端的な表現です。方向性やビジョンを示せば、当然「しないこと」も明確になります。方向性やビジョンを示すことは、リスクを承知で資源を配分することです。つまり、社長にしかできない仕事です。全社員が関わることなので、資源配分の責任は重いものです。そのせいか、ビジョンを示すどころか先送りして日和見するサラリーマン経営者もいるのです。

 A社長に方向性やビジョンと技術戦略との違いを私が説明したところ「なるほど、そういうことですね」と言われ、スッキリと納得してもらえました。若いだけに、自信のない時も言い切ってしまう癖があるようでしたが、社長の仕事をはっきりさせたことで前に進める手応えを感じたようでした。

 私は仕事柄、日和見主義でなかなかリスクを取った資源配分ができない社長も知っています。そのような例とは異なり、その後のA社長の行動には目を見張るものがありました。

 私とA社長でビジョンについて検討しました。するとA社長は重点分野に集中投資するために、これまで実施してきた業務を大胆にやめることを意図したビジョンも立てたのです。コンサルタントの私が「ちょっと大胆過ぎませんか」と言ったほどでした。

 そして新たなビジョンを社内に発表しました。自分のビジョンに自信を持っていたA社長は、ビジョンを実現するための技術戦略策定を社員に求めました。私との打ち合わせ通りです。

 その後A社では、コンサルタントの目線から見ても良い技術戦略を策定できました。A社長が自らのビジョンを明確にし、旗振りを行ったことで、社員の努力が実を結んだのです。それに伴って業務も変わりました。以前は新しいことが進みませんでしたが、ガラリと変わって新規業務に専念できるようになりました。これは間違いなく、リスクを取った資源配分の成果でした。

 A社長のように、リスクを取った意思決定をできる人は経営者の中で一握りかもしれません。前述した通り、日和見で先送りする経営者や、社員に「自由に決めていいよ」と権限委譲しながら、暗黙のうちに責任までなすり付ける経営者が多いからです。

 「リスクを取れ!」と言っているのではありません。ビジョンを決めて動かすことが大事だと言っているのです。先述の通り、資源配分は経営者にしかできない仕事です。経営者は会社全体を見渡して、資源配分が適正かどうかを常に吟味しなければなりません。

 組織を動かすということは、社員の違和感を敏感に察知し、自分の行動を吟味するということでもあります。社員の反応にさとく、かつ自らの言動を振り返ることが経営者には必要とされているのです。そうすることで、自分の言ったことが伝わっていなかったり、ビジョンを決めきれていないかったりすることを素早く察知できるようになるのです。

 A社長は社員の機微を捉えて、リスクのある資源配分をビジョンという形で実現できるようになりました。さて、あなたは全体を見渡して、自分の立場にしかできない仕事に集中していますか?

 

 【出典】株式会社 如水 HPより、筆者のご承諾により編集して掲載

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この記事の著者

中村 大介

若手研究者の「教育」、研究開発テーマ創出の「実践」、「開発マネジメント法の導入」の3本立てを同時に実践する社内研修で、ものづくり企業を支援しています。

若手研究者の「教育」、研究開発テーマ創出の「実践」、「開発マネジメント法の導入」の3本立てを同時に実践する社内研修で、ものづくり企業を支援しています。


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