体感で思考する 普通の組織をイノベーティブにする処方箋 (その162)

 

 

これまで五感を一つ一つとりあげ、それぞれの感覚のイノベーション創出における意義と、そこに向けての強化の方法について解説してきました。今回も続けて6つ目の感覚としての「体感」について考えてみたいと思います。

 

人間は前回の普通の組織をイノベーティブにする処方箋 (その161) 体感で思考するで議論したように、自分の六感で得た身体知識や経験を「快」か「不快」として認識します。そして「快」「不快」の知識・経験を活用するのですが、どのように活用するのでしょうか。今回は「快」の活用について考えて見たいと思います。

 

【この連載の前回:普通の組織をイノベーティブにする処方箋 (その161)へのリンク】

 

1.「快」の感覚をどう活用するのか

(1)良いものとして記憶される

「快」と判断した経験や知識は、自分にとって良いもの、有用なものとして記憶され、将来の意思決定に利用されることになると思います。まさに人間のサバイバルのために、このような経験や知識の蓄積は必須であり、そのために人間は「快」(後に議論する「不快」も)を認識する機能を持つようになったことは間違いがないでしょう。

 

(2)形式知化されて自分の有用ルールとして活用される

「快」と判断された経験や知識は、上で述べたようにそのままの経験・知識として蓄積され、利用されるのですが、さらに一歩進んで、目の前で遭遇した「快」と過去から蓄積されてきた経験や知識と合わせて、その意味合いを深く考える、すなわち形式知化することで、その有用の度合いを高め、今後自分が生きていくための有用なルールとするということがあると思います。上の「〇良いものとして記憶される」は、たぶん人間だけでなく動物全般に行われていることだと思いますが、人間は進化の過程で、さらに一歩進んでこのような能力を身に着けたのだと思います。

 

(3)自分の有用ルールを他者との間で共有する

(2)で議論した自分自身のルール化は、さらに一歩進んで他者との間での共有することで、グループや組織の共有ルールとして活用されることになります。形式知化することで、共有が可能となりますで、他者との間での自分自身のルールの共有は必然的な成り行きと考えることができます。
 
これにより、他者も自分自身が経験しなかったことも広く経験や知識として学ぶことができ、サバイバルにとって極めて有効な活動となります。

 

2. 他者も自分固有の経験・知識が暗黙知の共有化を促進する

1.では形式知により、経験・知識が直接的に共有化されると議論をしましたが、だれかから形式知、もしくはその断片を得ることで、そのだれかの持っている背景の暗黙知も共有できるように思えます。

 

たとえば松尾芭蕉の有名な句「古池や蛙飛び込む水の音」(文章で表明された形式知)を聞くと、それを聞いた人は即座に自分の六感で得た過去の身体経験から、苔むした小さな池の周辺は濡れていて、湿気のある環境下で、その古池に蛙が飛び込む情景を思いだし、蛙が池に飛び込む時のかすかなポチャンという音を心の中で聴くことができます。そしてその結果、なんとも言えない心の安定や癒し(暗黙知)を感じることができます。

 

この芭蕉の句と同じように、絵画、彫刻、音楽などの芸術作品は、きっかけの形式知となるもので、それに触れた人は、自分自身の経験や知識を掘り返し、それら芸術作品が伝えようとする暗黙知を共有することができるのです。

 

3. 実際に経験していない「快」の経験をクリエイトすることができる

先日見たNHKの松尾芭蕉をテーマとした討論番組の中で出席者の一人によると、蛙が池の中に飛び込むことはめったにないそうで、彼曰く、松尾芭蕉...

はこの情景を自分自身で経験したのではなく、芭蕉が自分の頭で創作したのではないか言っていました。

 

つまり、人間は自分が直接そのものを経験していなくても、自分自身の六感で体験した身体経験やその断片を集め集約し、そこに自分自身の想像力を付加することで、これまで存在しなかった「快」をクリエイトすることもできるということではないでしょうか。まさに小説、映画、アニメ、音楽といった芸術は、ほとんどが(ドキュメンタリーなどでない限り)実存しなかった「快」のストーリーが、クリエイトされたものです。

 

次回に続きます。

 

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