4大公害病―イタイイタイ病:新環境経営(その3)

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 新環境経営への取組みについての話題を提供するに当たり、最初にこれまでの経済成長に邁進してきた中で発生した公害について振り返っています。今回はその2:イタイイタイ病です。
 

1. イタイイタイ病

 イタイイタイ病は神通川下流域である富山県婦中町(現・富山市)において、1910年代から1970年代前半にかけて多発、患者が「痛い、痛い(いたい、いたい)」と泣き叫んだ事からこの病名がつけられました。原因は、神通川上流の高原川に三井金属鉱業神岡鉱山亜鉛精錬所から鉱廃水に含まれて排出されたカドミウムで、この地域で生産された米や野菜を摂取したり、汚染された水を飲用するなどにより引き起こされたとされます。
 
 1968年5月、厚生省は「イタイイタイ病の本態はカドミウムの慢性中毒による骨軟化症であり、カドミウムは神通川上流の神岡鉱業所の事業活動のよって排出されたものである。」と断定しました。これによってイタイイタイ病は政府によって認定された公害病の第1号になりました。
 
 神岡鉱山は江戸時代から銅、銀、鉛などを生産しており、生産は小規模だったもののそのころから周辺の農業や飲料水に被害が出ていたという記録があります。明治維新になってから経営主体が明治政府に移りましたが、すぐに三井組が本格経営を開始しました。日露戦争を契機に生産量が大幅に増加し、その後も日中戦争や太平洋戦争、戦後の高度経済成長による増産で大量の廃棄物が放出され、周辺の地域だけではなく下流域に農業や人体にも被害を与えました。1886年の三井組による全山統一から1972年のイタイイタイ病裁判の判決までに廃棄物によるカドミウムの放出は854トンと推定されます。
 
 神通川以外に取水元のない婦中町(当時)ではカドミウムの溶出した水を農業用水(灌漑用水)として使用したり、飲料水として使用してきました。また、カドミウムには農作物に蓄積される性質があるためカドミウムを多量に含む米が収穫され続けられました。この米を常食としていた農民たちは体内にカドミウムを蓄積することとなり、カドミウムの有害性によりイタイイタイ病の症状を引き起こしました。カドミウムは自然界にも一定の割合で存在し人体にも少量は含まれているものの、神通川流域で生産された米には非常に高濃度のカドミウムが含まれており、被害者の体内に蓄積されたカドミウムは基準値の数十倍から数千倍の濃度に達していました。(以上、ウィキペディアより)
 

2. イタイイタイ病から学ぶこと

 カドミウムの毒性については長い間よくわかっておらず、また公害の発生当時カドミウムとイタイイタイ病に特有な症状との関連もはっきりとしていなかったため神岡鉱山側の対策が遅れ、公害を拡大させることとなりました。又、公害病認定後もしばらくの間「ビタミンD不足説」を主張するグループがいたとのことです。カドミウムをイタイイタイ病の原因とする見解は、訴訟の中で状況証拠により「断定」されているのみで、化学的、生理学的証明は現在もなされていません。この様に公害の認定は難しく、また状況証拠による「断定」には多大の時間と労力を要します。だからこそ、事前にあらゆる想像力を働かして、念には念を入れて、危険性をリスクとして想定することが重要です。それにはこれまでに経験してきた、たくさんの公害被害の実例をたんねんに積み上げ、記録して、保存して、いつでも振り返れる様にする必要があります。
 

3. イタイイタイ病の経験をどのように今後に生かすか

 私達一般庶民はイタイイタイ病を過去の過ぎ去った事件として扱っていますが、この公害の後始末としての土壌汚染復元事業は2012年 3月17日に完了したとのことです。公害病認定後の約40年に亘る粘り強い取組みで、ようやくほぼ元の土壌に戻せたことになります。また、イタイイタイ病裁判の勝利を記念して建設され、患者救済・発生源対策・汚染土壌復元運動の拠点であり、全国の公害反対運動に連帯する活動の拠点である清流会館が資金難に陥り、存続の危機にあると聞きます。この様に、土壌を元に戻すことも、公害の再発防止を後世に伝えることも、大変な労力とエネルギーを要します。
 
 現在、北米を中心にシェール層に堆積するガスの採掘が加速していますが、既に地上で地下水を利用している住民からガス臭くて地下水が飲めないという被害がでているといいます。また、ガスを押し出すために注入する水の中に特殊な物質が使われており、それが人体にどのような影響を及ぼすかも見極...
 新環境経営への取組みについての話題を提供するに当たり、最初にこれまでの経済成長に邁進してきた中で発生した公害について振り返っています。今回はその2:イタイイタイ病です。
 

1. イタイイタイ病

 イタイイタイ病は神通川下流域である富山県婦中町(現・富山市)において、1910年代から1970年代前半にかけて多発、患者が「痛い、痛い(いたい、いたい)」と泣き叫んだ事からこの病名がつけられました。原因は、神通川上流の高原川に三井金属鉱業神岡鉱山亜鉛精錬所から鉱廃水に含まれて排出されたカドミウムで、この地域で生産された米や野菜を摂取したり、汚染された水を飲用するなどにより引き起こされたとされます。
 
 1968年5月、厚生省は「イタイイタイ病の本態はカドミウムの慢性中毒による骨軟化症であり、カドミウムは神通川上流の神岡鉱業所の事業活動のよって排出されたものである。」と断定しました。これによってイタイイタイ病は政府によって認定された公害病の第1号になりました。
 
 神岡鉱山は江戸時代から銅、銀、鉛などを生産しており、生産は小規模だったもののそのころから周辺の農業や飲料水に被害が出ていたという記録があります。明治維新になってから経営主体が明治政府に移りましたが、すぐに三井組が本格経営を開始しました。日露戦争を契機に生産量が大幅に増加し、その後も日中戦争や太平洋戦争、戦後の高度経済成長による増産で大量の廃棄物が放出され、周辺の地域だけではなく下流域に農業や人体にも被害を与えました。1886年の三井組による全山統一から1972年のイタイイタイ病裁判の判決までに廃棄物によるカドミウムの放出は854トンと推定されます。
 
 神通川以外に取水元のない婦中町(当時)ではカドミウムの溶出した水を農業用水(灌漑用水)として使用したり、飲料水として使用してきました。また、カドミウムには農作物に蓄積される性質があるためカドミウムを多量に含む米が収穫され続けられました。この米を常食としていた農民たちは体内にカドミウムを蓄積することとなり、カドミウムの有害性によりイタイイタイ病の症状を引き起こしました。カドミウムは自然界にも一定の割合で存在し人体にも少量は含まれているものの、神通川流域で生産された米には非常に高濃度のカドミウムが含まれており、被害者の体内に蓄積されたカドミウムは基準値の数十倍から数千倍の濃度に達していました。(以上、ウィキペディアより)
 

2. イタイイタイ病から学ぶこと

 カドミウムの毒性については長い間よくわかっておらず、また公害の発生当時カドミウムとイタイイタイ病に特有な症状との関連もはっきりとしていなかったため神岡鉱山側の対策が遅れ、公害を拡大させることとなりました。又、公害病認定後もしばらくの間「ビタミンD不足説」を主張するグループがいたとのことです。カドミウムをイタイイタイ病の原因とする見解は、訴訟の中で状況証拠により「断定」されているのみで、化学的、生理学的証明は現在もなされていません。この様に公害の認定は難しく、また状況証拠による「断定」には多大の時間と労力を要します。だからこそ、事前にあらゆる想像力を働かして、念には念を入れて、危険性をリスクとして想定することが重要です。それにはこれまでに経験してきた、たくさんの公害被害の実例をたんねんに積み上げ、記録して、保存して、いつでも振り返れる様にする必要があります。
 

3. イタイイタイ病の経験をどのように今後に生かすか

 私達一般庶民はイタイイタイ病を過去の過ぎ去った事件として扱っていますが、この公害の後始末としての土壌汚染復元事業は2012年 3月17日に完了したとのことです。公害病認定後の約40年に亘る粘り強い取組みで、ようやくほぼ元の土壌に戻せたことになります。また、イタイイタイ病裁判の勝利を記念して建設され、患者救済・発生源対策・汚染土壌復元運動の拠点であり、全国の公害反対運動に連帯する活動の拠点である清流会館が資金難に陥り、存続の危機にあると聞きます。この様に、土壌を元に戻すことも、公害の再発防止を後世に伝えることも、大変な労力とエネルギーを要します。
 
 現在、北米を中心にシェール層に堆積するガスの採掘が加速していますが、既に地上で地下水を利用している住民からガス臭くて地下水が飲めないという被害がでているといいます。また、ガスを押し出すために注入する水の中に特殊な物質が使われており、それが人体にどのような影響を及ぼすかも見極められていません。人類の共有財産である地下水を汚してまでも、目先のエネルギー確保に走るアメリカ、過去の公害を克服してきた人類の歴史に背を向けているとしか思えません。そして、3.11の原発事故による放射能汚染も、紛れもない国と電力会社によるとんでもない公害です。
 
           CSR
 
 これまでは、世界のリーダー達に任せておけば、色々なことを考慮して安全な環境を提供してくれるはずと思いこんできました。だが、どうやらそうではなく経済優先で一部の欲の皮の突っ張った人達に牛耳られているのが現実です。これからはICTをフルに活用して、ソーシャルネットワーク(SNS)で、一般庶民が世界のリーダー達の動きをチェックすることが、環境破壊の未然防止に繋がります。また、公害の再発防止を後世に伝える方法として維持費の少ない記録の保存方法の工夫が求められます。それにはウィキペディアの充実や、デジタルアーカイブスの普及、情報アクセスの容易化が有効な手段となります。
 
 次回は公害その3として、「四日市ぜんそく」について、振り返ってみます。
 

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この記事の著者

石原 和憲

人と地域をつなぐ、交流型イノベーター

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