DEHPとは?危険性や健康への影響、身近な製品例と安全な代替品まで解説

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DEHP(フタル酸ジエチルヘキシル)とは何か?見えない脅威DEHP、健康と環境への影響

 

【目次】

    DEHP(フタル酸ジエチルヘキシル)、この耳慣れない化学物質が、私たちの日常生活に深く根ざしていることをご存知でしょうか。柔軟性と耐久性をもたらす「可塑剤」として、DEHPはかつて塩化ビニル樹脂製品を中心に、医療機器から食品包装、建材、おもちゃに至るまで、多岐にわたる製品に不可欠な存在でした。しかしその「便利さ」の陰には、人体や環境への潜在的な危険性が潜んでいました。今回はDEHPの概要から、その危険性に関する科学的知見、そして代替物質の開発や規制の動向など、今後のイノベーションの可能性について解説します。

     

    1. DEHP(フタル酸ジエチルヘキシル)とは?優れた可塑剤としての役割と用途

    フタル酸ジエチルヘキシル、一般にはDEHP(Diethylhexyl Phthalate)として知られるこの化合物は、フタル酸エステル類に属する有機化合物です。無色無臭の油状液体であり、水にはほとんど溶けませんが、有機溶媒にはよく溶けます。DEHPの最大の特徴はその可塑剤としての優れた能力にあります。可塑剤とは、高分子材料、特に塩化ビニル樹脂(PVC)に添加することでその硬く脆い性質を改善し、柔軟性や加工性を付与する物質のことです。

     

    PVCは非常に安価で加工しやすいという利点を持つ一方で、そのままだと非常に硬く、用途が限られます。そこにDEHPなどの可塑剤を加えることで、ゴムのような柔軟性を持たせたり、フィルム状に加工したりすることが可能になります。これにより、DEHPはかつて以下のような広範な製品に利用されていました。

    • 医療機器
      輸液バッグ、輸血バッグ、カテーテル、チューブ、人工透析膜など、人体に直接触れる多くの医療器具。
    • 食品包装
      食品用ラップフィルム、容器の蓋のシーリング材など。
    • 日用品
      おもちゃ、レインコート、シャワーカーテン、フロアマット、壁紙、電線被覆材、靴底など。
    • 建材
      床材、壁材、電線被覆、屋根材など。

     

    このようにDEHPは私たちの生活のあらゆる場面に浸透し、現代社会の利便性を陰で支える隠れた功労者としての役割を担ってきました。その柔軟性付与能力は非常に高く、他の可塑剤と比較しても優れた特性を持つため、長期にわたりその地位を確立していました。

     

    2. DEHP(フタル酸ジエチルヘキシル)の危険性、健康と環境への潜在リスク

    DEHPはその便利な特性ゆえに広く利用されてきましたが、時間の経過とともにその潜在的な危険性が明らかになってきました。最大の問題点は、DEHPが化学的に高分子材料と結合しているわけではなく物理的に混ざり合っているだけであるため、時間とともに製品から溶出(リークアウト)する可能性があるということです。この溶出によってDEHPが人体や環境中に放出され、さまざまな悪影響をもたらすことが懸念されています。

     

    (1)人体への影響

    DEHPは内分泌かく乱作用(いわゆる環境ホルモン作用)を持つ可能性が指摘されており、特に以下の健康リスクが懸念されています。

    • 生殖機能への影響
      動物実験では、DEHPが精子形成の阻害や精巣の萎縮、精巣がんの発生率増加など、雄性生殖器への悪影響を及ぼすことが報告されています。また雌性においても、卵巣機能への影響が示唆されています。ヒトへの影響についてはさらなる研究が必要ですが、特に胎児期や乳幼児期の暴露が将来的な生殖機能に影響を及ぼす可能性が指摘されています。
    • 発がん性
      国際がん研究機関(IARC)は、DEHPを「ヒトに対して発がん性がある可能性がある物質(Group 2B)」に分類しています。これは発がん性の証拠の強さを示す分類であり、「限定的なヒトでの証拠」と「十分な動物実験での証拠」がある場合に適用されます。具体的には、主にラットやマウスなどのげっ歯類を用いた実験で肝臓がんの発生が確認されていますが、ヒトにおいてDEHPの暴露とがんの発生を結びつける明確で一貫した証拠は、現時点では得られていない、という段階を意味します。
    • 発達への影響
      DEHPが胎盤を通過し、母乳にも移行することが確認されています。妊娠中や授乳中の女性がDEHPに暴露されることで、胎児や乳幼児の発育に影響を及ぼす可能性が懸念されています。具体的には、神経発達や認知機能への影響が示唆されています。
    • 肝臓・腎臓への影響
      高濃度のDEHPに暴露された場合、動物実験では肝臓や腎臓の障害が報告されています。

     

    これらの健康リスクが特に懸念されるのは医療現場での使用です。輸液バッグやカテーテルなどDEHPを含む医療機器が患者の体内に入る場合、直接DEHPが血液中に溶出する可能性があり、特に長期治療が必要な患者や、新生児・乳幼児など感受性の高い患者においては、より深刻な影響が懸念されます。

     

    (2)環境への影響

    DEHPは製品からの溶出だけでなく、製造過程や廃棄物処理の過程でも環境中に放出されます。

    • 水質汚染
      廃棄されたDEHP含有製品や製造工場からの排水によって、河川や湖沼、海洋などの水環境が汚染される可能性があります。DEHPは水に溶けにくい物質ですが、微生物分解されにくいため環境中に残留しやすい性質を持っています。
    • 土壌汚染
      埋め立てられた廃棄物からDEHPが土壌中に浸出し、土壌汚染を引き起こす可能性があります。
    • 生物濃縮
      環境中に放出されたDEHPは食物連鎖を通じて生物の体内に蓄積され(生物濃縮)、高次の捕食動物に到達する可能性があります。これにより生態系全体に悪影響を及ぼすことが懸念されます。特に魚類などの水生生物への生殖毒性や発達毒性が報告されています。

     

    これらの危険性が認識されるにつれて、世界各国でDEHPの使用に対する規制が強化されてきました。特に欧州連合(EU)では、REACH規則(化学品の登録、評価、認可、制限に関する規則)に基づき、DEHPの使用が厳しく制限されています。医療機器においても、EUの医療機器規則(MDR)ではDEHPのような内分泌かく乱物質の含有に対して厳しい要件が課せられています。

     

    日本においても、DEHPは複数の法律で規制されています。

    • 食品衛生法
      脂肪性の食品に接触する器具・容器包装について、DEHPの使用が禁止されています。またおもちゃに関しても、子供が口に接触することを考慮し、DEHPを原材料に含む塩化ビニル樹脂の使用が規制されています。
    • 化審法(化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律)
      DEHPは優先評価化学物質に指定されており、国によるリスク評価が進められています。
    • 家庭用品規制法
      直接言及はありませんが、業界の自主基準などにより代替化が進んでいます。

     

    このように、特に私たちの口に入るものや子供が触れる製品については、国内でも厳しく管理されています。

     

    3. DEHP(フタル酸ジエチルヘキシル)の今後のイノベーション、安全な社会を目指して

    DEHPの危険性が明らかになるにつれて、その代替となる安全な可塑剤の開発や、DEHPを使わない製品設計への移行が急務となっています。これは単なる化学物質の代替に留まらず、より安全で持続可能な社会を構築するための大きなイノベーションの潮流を生み出しています。

     

    (1)代替可塑剤の開発と普及

    最も直接的なイノベーションは、DEHPに代わる新たな可塑剤の開発と普及です。DEHPと同等以上の性能を持ちながら、人体や環境への影響が少ない物質が求められています。現在、以下のような代替可塑剤が注目され、実用化が進んでいます。

    • DOTP(フタル酸ジオクチルテレフタレート)
      DEHP(フタル酸エステル)とは化学構造が異なるテレフタル酸エステルの一種です。内分泌かく乱作用などの懸念がDEHPに比べて低いと評価されており、世界的に代替が進んでいます。
    • クエン酸エステル系可塑剤
      食品や医薬品にも使用されるクエン酸を原料とする可塑剤で、生分解性があり、安全性が高いとされています。
    • セバシン酸エステル系可塑剤
      低温特性に優れ、医療用チューブなどにも使用されています。
    • 植物由来可塑剤
      大豆油やひまし油など、再生可能な植物を原料とした可塑剤の開発も進んでいます。環境負荷が低く、持続可能性の観点からも期待されています。
    • 高分子可塑剤
      揮発しにくく溶出しにくいという特性を持つ高分子可塑剤も開発されています。医療機器や長期使用される製品での採用が増えています。

     

    これらの代替可塑剤は、DEHPと比較してコストが高かったり加工性が劣ったりするケースもありますが、技術革新により性能とコストのバランスが改善されつつあります。今後は用途に応じた最適な代替可塑剤の選択と、それらを効率的に生産する技術が重要となります。

     

    (2)非PVC素材への転換

    可塑剤を使用するPVCから別の素材へと転換する動きも加速しています。特に医療機器分野ではポリウレタン(PU)、シリコーン、ポリエチレン(PE)、ポリプロピレン(PP)などの素材への切り替えが進んでいます。これらの素材はDEHPを必要とせず、患者への安全性向上に貢献します。例えば新生児用の輸液ラインや長期留置カテーテルなどでは、積極的に非PVC素材が採用されています。

     

    しかし非PVC素材への転換も、コスト増や加工性の課題、既存の医療システムとの互換性など、乗り越えるべき課題も存在します。これらの課題を克服するための材料科学や製造技術のイノベーションが求められます。

     

    (3)規制の強化と企業努力

    各国政府や国際機関による規制の強化は、DEHPフリー製品への移行を後押しする大きな要因となっています。前述のEUのREACH規則や医療機器規則はその典型例です。これらの規制に準拠するため、企業は研究開発に投資し、安全な製品へと切り替える努力を続けています。

     

    また消費者意識の高まりも重要な要素です。DEHPの危険性に関する情報が広まるにつれて、消費者はより安全な製品を選択するようになり、企業は市場のニーズに応える形でDEHPフリー製品の開発・販売を強化しています。これは企業の社会的責任(CSR)の観点からも重要な取り組みです。

     

    (4)リサイクル技術の革新

    DEHPを含む既存のPVC製品の廃棄問題も、今後の重要な課題です。DEHPが溶出しにくい状態でのリサイクル技術や、DEHPを安全に無害化する技術の開発が求められています。ケミカルリサイクル(化学的に分解して原料に戻す)や熱分解によるエネルギー回収など、環境負荷の低い処理方法の確立も今後のイノベーションの方向性です。

     

    (5)消費者ができること、DEHPへの暴露を減らすための具体的なアクション

    DEHPのリスクを理解した上で、日常生活で暴露を減らすために私たちができることもあります。

    • 製品の素材表示を確認する
      特に安価なビニール製品を購入する際は、素材表示を確認する習慣をつけましょう。「塩化ビニル樹脂」「PVC」と表示があり、非常に柔らかい製品(特に古いもの)はDEHPが含まれている可能性があります。
    • 古いプラスチック製品の使用を避ける
      長年使用している柔らかいプラスチック製品(フロアマット、シャワーカーテンなど)は、DEHPが溶出しやすくなっている可能性があります。新しい製品への買い替えを検討しましょう。
    • 食品の保存方法を工夫する
      食品用ラップフィルムは、現在日本で市販されている家庭用のものはほとんどがポリエチレンやポリ塩化ビニリデン製でDEHPは使用されていません。しかし油性の食品を塩化ビニル樹脂製の容器に入れる際は、ガラス製や陶器、ポリエチレン製などの容器に移し替えるほうがより安全です。
    • 室内の換気を心掛ける
      DEHPはハウスダストに含まれることも報告されています。定期的な換気やこまめな清掃は、DEHPだけでなく他の室内化学物質への暴露を減らす上でも有効です。

     

    4. まとめ、持続可能な社会への挑戦

    DEHP(フタル酸ジエチルヘキシル)は、科学技術の発展がもたらす「利便性」と、その裏に潜む「リスク」という現代社会が直面する普遍的な課題を象徴しています。かつては画期的な材料であったDEHPがその危険性ゆえに代替される道を辿ることは、人類が化学物質とどのように向き合い、利用していくべきかという問いを私たちに突きつけます。代替可塑剤の開発、非PVC素材への転換、規制の強化、そしてリサイクル技術の革新は、DEHPが残した負の遺産を乗り越え、より安全で持続可能な社会を構築するための重要なステップです。これらのイノベーションは単一の技術開発に留まらず、材料科学、毒性学、環境科学、そして社会システム全体が連携して進むべき多角的な挑戦と言えます。私たちは過去の教訓から学び、科学的知見に基づいた賢明な判断を下し、未来の世代に安全で健康な環境を残す責任があります。DEHPを巡る物語は、まさにその責任を果たすための持続的な努力と、絶え間ないイノベーションの重要性を教えてくれています。

     

    【参考文献・出典】

    厚生労働省「食品用器具・容器包装のポジティブリスト制度について」

     


    この記事の著者

    嶋村 良太

    商品企画・設計管理・デザインの業務経験をベースにした異種技術間のコーディネートが得意分野。自身の専門はバリアフリー・ユニバーサルデザイン、工業デザイン、輸送用機器。技術士(機械部門・総合技術監理部門)

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