『坂の上の雲』に学ぶ先人の知恵(その18)

 『坂の上の雲』は司馬遼太郎が残した多くの作品の中で、最もビジネス関係者が愛読しているものの一つでしょう。これには企業がビジネスと言う戦場で勝利をおさめる為のヒントが豊富に隠されています。『坂の上の雲』に学ぶマネジメント、『論理的思考を強化せよ』の章は今回が最終回です。
 

13. 騎兵の本質

 
 戦争が終わってから、秋山好古が陸軍大学校で講義をする場面があります。騎兵の講義で、好古は陸軍大学校の学生を前にして、教室の窓ガラスを自分のげんこつでガーンと破ります。ガラスは粉々になり、げんこつは血だらけになりました。好古はそれで騎兵の本質はこれだと説明するのです。
 
 騎兵は強い破壊力を持つが、自身は弱いから傷つく。つまり、守りの要素というのは騎兵にはないが、集中して使うと破壊力があると説明する。教科書ではなく、騎兵の本質はこれだと自分でガラスを破ってけがをするデモンストレーションをしたのです。騎兵の本質は突破力があり、戦場の一角を破ることはできるが、自分たちに防御力はないから傷つく、と。好古という経験者が騎兵の本質をよく理解しているからこその説明だと思うのです。
 

14. 騎兵に防御力を付けた

 
 ロシアと日本の騎兵には圧倒的な差がありました。好古はその差を埋めるために、騎兵に機関銃を装備して防御力をつけました。ロシアの騎兵隊は装備していないのです。日本の騎兵に防御力はあるが、そのかわり突進力は弱い。防御力は強いので最後までしぶとく生き残る。騎兵ではロシアと比べて格段の差があり、これは突進力で勝負するより防御力があれば、ロシアの騎兵に負けないと考えたからです。騎兵の常識としては防御力より突進力なのですが、日本の騎兵の実態を見ると、好古はこの常識を無視して防御力を付けないとどうしようもないと考えたようです。これも、要素と構造がわかっていたから、弱点を補う対策を考えついたのです。大混乱で壊滅かもしれないという黒溝台の会戦を救うのも、好古が騎兵につけた防御力でした。
 
 好古も東郷も真の経験者だったのです。論理的思考の強化は現在のビジネスにおいて、他への説明の場面でとくに必要なことです。事象の要素と要素間の構造について他の人に納得できる説明をすることが求められます。
 

15. 司馬遼太郎の事前調査と研究

 
 司馬遼太郎の事前調査と研究は徹底していました。若き日の東郷平八郎が参加した海戦のひとつに戊辰戦争における宮古湾海戦(1869年)がありました。新政府軍の当時、国内では最強の軍艦だった甲鉄を、旧幕府軍が軍艦回天で宮古湾に停泊しているところを奪おうと函館から宮古湾まで遠征した戦いです。遠征軍の回天にはあの新撰組の土方歳三が乗っていました。
 
 甲鉄が停泊し、機関の火も落としているところに、不意打ちで接舷して乗り込み、これを奪って函館に帰ろうという作戦でしただ。甲鉄に接舷しようとするところまでは旧幕府軍の想定どおりうまくいきました。不意打ちを食らった甲鉄の混乱ぶりは大変なもので、出入り口に逃げ込む者、甲板を走り回る者、はては海に飛び込む者もいたほどだったそうです。その中で、甲鉄の艦尾でゆうゆうと全軍警戒の信号旗を上げる武士がいました。その武士について、司馬は「この勇敢な男の名はつたわっていない」と書いています。司馬が「つたわっていない」と書いた以上、これはやはりないのだろうなと納得します。宮古湾海戦については、司馬の『燃えよ剣』が詳しいでしょう。
 
 甲鉄が不意打ちにあったのも、せっかくの事前情報を粗末にしたのが原因です。そのいきさつは薩長の対立がもとになっていたようです。司馬遼太郎は『坂の上の雲』を書くとき、集めた資料がトラック何台分にもなったと聞いたことがあります。日露戦争については大本営が編纂した戦史があります。これは古書店に二束三文で並んでいたらしいです。「古書店の店主はその価値相応の値段しかつけない」と書いています。
 
 しかし、この戦史の付録についていた数百枚の地図は役にたったようです。司馬はこれらの膨大な情報を丹念につきあわせ、『坂の上の雲』に書いてあるような記述になっているのです。あれは全部自分で考えて書くのですかという質問を受けたこともあるらしく、自分で考えない限りそれはどこにもあるわけがないと書いています。新しい資料を研究したら、すでに発表した自分の推論が間違っていたということもあるらしく、その新発見による修正は新聞連載の場合は逐次おこなったのです。そういうことが文庫本のあとがきに書いてあります。
 

16. ルーズベルト米大統領のショートカット思考

 
 日露戦争の勝敗についてロシアの負けを予想したのが、当時のセオドア・ルーズベルト米大統領でした。「独裁国家は滅びる」。これがルーズベルトの拠りどころだったそうです。これもやはり経験者の言葉だと思うのは、畑村氏お勧めのショートカット思考と同じです。
 
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 ルーズベルトは、「独裁国家は健全な批判機関がない」「偏った意見でも皇帝の好みにあえば採用される」「皇帝の思いどおりの意見しか採用されない」、したがって、戦争に勝つためにはきわめて合理的な判断から意思決定していくべきだが、皇帝の気分次第でものごとが進んでいく。こういうシステムで戦争をやれば勝つことはなくて負ける。戦争の敗北がきっかけになり、社会のしくみが変質して最終的に独裁国家は滅びるだろうという思考のプロセスになっていたようです。実際にその通りになるわけで、独裁国家なるがゆえにというところから、日露戦争の前にルーズベルトはロシアの敗北を結論づけていました。
 
 次回から、次の章に移り「学習する組織」をめざせを解説します。
 
【出典】
 津曲公二 著「坂の上の雲」に学ぶ、勝てるマネジメント 総合法令出版株式会社発行
 筆者のご承諾により、抜粋を連載。
 
  
◆関連解説『人的資源マネジメントとは』

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