蒸気機関時代のアイデア発想事例

1.恩師から吸収した科学的思考から蒸気機関の熱効率をアップし、蒸気機関を完成させたイギリスの発明家ジェームズ・ワット

 人との出会いが人生の転機になる例は多いものですが、ワットにとって、ブラック博士とジョン・ロビンソンとの出会いがまさにそれでした。彼らに会う前までのワットは、数学の機器製造者をめざしている、才能を内に秘めた一人の若者にすぎませんでした。それが二人とのつながりで、大学用数学機器の製造者の地位を獲得し、さらにブラック博士との交流によって、ワットの科学への関心と知識は深まっていったのです。

 当時広く利用されていたニューコメン型蒸気機関の修繕を頼まれたワットが、その非能率的な欠点を見抜くことができたのも、ブラック博士から科学的方法を学んだたまものだったといえるでしょう。ニューコメン型は、蒸気機関とはいっても蒸気のパワーを直接利用するものではなかったため、大量の燃料が必要でした。ワットはまずそこに目をつけ、蒸気の圧力を直接利用する蒸気機関を製造し、熱効率を飛躍的にアップさせました。その後も、数度の改良を重ねて今日の形式に近い蒸気機関を完成させ、機械文明の基礎を築いたのです。

 ワットはその生涯で、当時の第一線の科学者たちと広く付き合いました。彼らの研究に対してもおしみなく協力し、写真のルーツともいうべき日光写真の発明でウェッジウッドを助けるなど、人との交流の中で、多くの発明・発見に立ち合うこととなりました。
  

2.幼少時に釣りをしながら見た船の夢から、蒸気船の建造を夢見続け実現にこぎつけたアメリカの技術者ロバート・フルトン

 ロバート・フルトンは、10代の終わりにイギリスに渡り、機械技術の発明に才能を発揮したアメリカ人技術者です。故国を離れて20年以上が過ぎ、彼は少年時代のことを懐かしむようになっていました。特に、釣りに行って川辺でまどろみながら見た船の夢のことが、しょっちゅう思い出すのでした。それは、煙突から煙をはき、両端についている水車を回しながら進む...

船の夢です。

 その頃フルトンはすでに機械仕掛けで動く船を考案していましたが、幼い頃の夢がきっかけで蒸気船の建造に着手することとなりました。さまざまな資料を研究し、実験を繰り返し、試作を重ね、ついに1807年8月、フルトンの発明した蒸気船クラーモント号は、ニューヨークのハドソン川をさかのぼり、オールバニまでの航行に成功したのです。
  

出典:「ひらめきの法則」 髙橋誠著(日経ビジネス人文庫)

◆関連解説『アイデア発想法とは』

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