『坂の上の雲』に学ぶ先人の知恵(その24)

 『坂の上の雲』は司馬遼太郎が残した多くの作品の中で、最もビジネス関係者が愛読しているものの一つでしょう。これには企業がビジネスと言う戦場で勝利をおさめる為のヒントが豊富に隠されています。『坂の上の雲』に学ぶマネジメント、『学習する組織をめざせ』の章です。活動するたびにいつも組織と構成員の成長があること、そのしくみが「学習する組織」です。それをめざすにはどうするのか、この章で解説します。
 

12. 普通の人を育成する

 
 その23、(1)明治期の教員育成 (2)経営幹部の育成に続いて解説します。
 

(3) 中堅幹部の育成

 
 日本の企業は、ラインのリーダークラスの育成は一生懸命です。中堅幹部の育成と教育も一生懸命ではありますが、方向がずれているのではないでしょうか。たとえば、私は「こなす技術」「さばく技術」という分類をしています。
 
 こなすは「熟す」と書きます。自分の専門の知識・経験を活かして物事を処理し、問題解決をする。これの極致が「匠」と呼ばれます。戦艦の大砲の命中率を上げるため、砲兵が的に当てる訓練をするのは「こなす技術」を高めていることになります。さばくは「捌く」と書きます。自分の専門外の物事であっても、問題解決の糸口を見つけ、解決の方向を描く。戦艦の大砲の命中率を上げるため、照準のやり方を変えてみるのは「さばく技術」が必要になります。各砲で思い思いに照準していたものを共通の照準に統一するのは、「さばく技術」です。
 
 これらはいずれも必要な技術ですが、上位のマネジメントになればなるほど、「さばく」ことの割合が高まります。ちなみに東郷は連合艦隊において、的に当てる訓練を猛烈にやらせる一方、照準のとり方については統一方式に変更しました。つまり、こなす、さばく両方をやっているのです。
 
 方向がずれているというのは「さばく」ことの必要性が高まる立場の階層であるのに、それに対応していないからです。基本的に「さばく技術」の必要性が理解されていないからではないかと考えています。
 

(4) 過負荷で育てる

 
 過負荷とは、非常に厳しい目標で追い込んで育てると解釈されがちですが、スパルタ式とか、厳しいとか厳しくないとかはあまり関係ないのです。組織のミッションや目標と個人の目標が共有できればよいのです。会社はこういうことを目指している、したがってあなたにはこういうことをやってもらいたいと言うように目標が共有できるが重要です。
 
 たとえば、中国は伸びる市場だからそこのトップとしてあなたはここに拠点を築いてほしい、将来はここを足掛かりにしてさらに市場を拡大してもらいたい、というのが組織のミッションで、目標として3年後には500億円ぐらいの販売をやってくれ、と。こういう目標値が共有できれば厳しさは障害にはならないのです。逆にこれが、良い目標になるでしょう。厳しさとは、簡単には到達できない目標と理解すればよいのです。何が何でも「ただがんばれ」ではなく、目標にチャレンジするターゲットが高いことを厳しさと言っています。
 
 目標が厳しいと本人も最初はとてもできないと思うのですが、「組織のミッションから言えばこのようなことが必要だからあなたを選んだ、ぜひやってほしい」と課題が共有できていれば、厳しくはあってもやろうとする勇気がわいてくるのです。過負荷で育てるというのは、個人と組織の課題を共有することが大切なのです。
 
 
 
 たとえば、ホンダの創業者である本田宗一郎は、もう最初からできそうもないことをポーンと言ったらしい。しかし、やっぱり宗一郎さんが言うからやってみようか、とその気になるらしい。ホンダがホンダらしさを失わないかどうかは宗一郎さんのようなカリスマがいなくなり、それを今後もどのくらい伝えられるかにかかっていると思うのです。
 
 誰が言うかによって違う。適当な人がものすごい目標を言っても、「そんなのおまえがやってみろ」で終わる。宗一郎さんが言えばなんとかできるかもしれないと思う人がいっぱいいる。これが過負荷で育てる、の意味でしょう。過負荷で育てる組織では、自分に甘い者はスポイルされることになるのです。
 
 『坂の上の雲』の中に、ロシアをかく乱させる任務を帯びた明石元二郎が登場します。明石を人選するにあたっては、他に選べるほどたくさんの人材がいたわけでなかったし、あのころヨーロッパに行ったのは何人もいないわけで、軍人に似つかわしくない人相で多少外国語ができそうなのは明石しかいないと白羽の矢が立ったのではないでしょうか。他の外交官のエリートたちはヤクザな仕事はしたくない。明石元二郎はもとが軍人だからアイツしかいない。だから任せるか、などといきさつは適当な気がするのです。ところが任せられた任務がすごい。予算が100万円(当時の国家予算の0.4%相当)の資金です。明石元二郎はいい加減な人のように見えたがお金については几帳面で、使ったものはきちんとノートに書いてあり、領収証もそろえるべきものは全部ある。しかも100万円のうちの27万円の残金まで返納しているのです。
 
 しっかりした人で、あけっぴろげにスパイ活動に行って、私はなんにもできないからあんたよろしく頼む、というような雰囲気でどんどんやった人のようです。長期戦にならないよう、ロシアの戦意を喪失させる意図で開戦前に派遣されたが、内部革命を組織してきてくれぐらいのことを頼まれたのではないでしょうか。明石もすんなり大役を引き受けるがそれも時代背景の雰囲気があったうえに、目標や課題が共有できたからでしょう。
 
 人を育てる観点は組織のミッションと目標が要です。それがいい加減だと、「なんでそんなことやらなきゃいけないの」「できませんよ、人もいないしカネもないんだから」となるのです。目標や課題が共有できれば「過負荷で育てる」が生きてくるのです。
 

(5) 任せて育てる

 
 任せて育てるとは、適任と見込んでそれなりの準備と訓練をしたら、あとは任せてみることです。失敗を共有するとは、失敗したら任せた方が責任を取るということです。司馬遼太郎は他の本で、西郷隆盛も人を見込んでから任せた、あとは失敗したら自分が腹を切ると心構えがいつもできていたので任せた、と書いています。任せるにはこの人ならできそうとか成長しそうとか、自分に鑑識眼が必要となるのです。なんでもかんでも任せることではない。鑑識眼がないと、いつまでもあれこれ口出しして、ああでもない、こうでもないという。それでは人が育たないのです。
 
 次は若い人に任せる例です。入社2、3年目でも大きな仕事をやらせている会社があります。当然失敗する。この会社が、コンサルティング事例発表会を企画し、50人ほどのセミナーを開催しました。小さい不手際が相当あった。社長の話を聞きたくて来た人がいるのに社長の話が短くて、終わってからの懇親会で付け足しがあった。懇親会のときには帰った人もいたらしいが、社長はその場でそれは違うよとは言わない。上の人も黙って見ていて全部やらせる。任せた以上は致命的な問題がない限り、あれこれ口出ししないのです。
 
 『坂の上の雲』では、陸軍の参謀本部次長だった田村怡与造が開戦前に病死し、その後任として児玉源太郎が自ら引き受ける場面がありまする。児玉は次長職をやるには偉くなりすぎていましたが、他に適任者がいないことを児玉自身がよくわかっていたので引き受けたわけです。その場に陸軍元老の山県有朋と参謀総長の大山巌がいました。児玉が下位の職を進んで引き受けてくれたので二人とも喜び、山県が「大山さんさえよければ、自分が参謀総長の職をやってもいい」と申し出ました。
 
 これには児玉が即座に、私のほうがごめんですと笑い飛ばしてその話を引っ込めさせたという。山県は何事にも自分の好みがあり、それを下に押し付けるタイプだっ...
たらしい。総大将にはまったく不向きです。大山はいっさいを部下に任せてしまう。といっても任せるだけではなかったようです。物事が紛糾したときには頃合いをみて采配をふるったそうだが、その的確さにはうるさがたも文句を言う元気をなくしたほどであったそうです。ただ、基本は一切を任す。児玉はこういうボスの下なら思う存分の仕事ができると思っていたのです。実際、そのとおりになったわけです。
 
 秋山真之の育成方法もエピソードがあります。真之を、駐在武官としてアメリカに留学させる。アメリカに行くとマハンという海軍の大智恵袋に教えを請う。そういう環境を与えるだけで、秋山に任せておくと、自分からどんどん行動することを見越している。イギリスに行け、アメリカに行けと行き先を変えるだけいい。留学中にアメリカとスペインの間で戦争が始まったが、アメリカ軍の作戦を見学させろと真之は現場まで行き、そのレポートを作って送ってきました。これが後で旅順港閉塞作戦に生きてくるのです。
 
 適任と見込んだらあとは任せてみる、秋山に対する当時の日本海軍のトップの考えでした。任せて育てるには、任せる側の見識と度量が欠かせません。日本の軍隊の兵士の教育方法は、きちんとこういうことをやれ式の大量生産式です。中間マネジャーと第一線の兵士の教育を使い分けていたということです。
 
 次回も、学習する組織の解説を続けます。
 
【出典】
 津曲公二 著「坂の上の雲」に学ぶ、勝てるマネジメント 総合法令出版株式会社発行
 筆者のご承諾により、抜粋を連載。
  
◆関連解説『人的資源マネジメントとは』

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