総付加価値向上をイノベーションで実現する必要性

 年金、消費税、インフレ、補助金、TPPなど、近年議論されているほとんどの政策問題は配分問題です。あることをすると何かに悪影響を及ぼす正負両面があり、議論が百出して決まらない、もしくは多数決となり、多くの国民に不満を残します。 原発問題も近隣住民の安全コストと(将来的な処分費用を含む)エネルギーコストの配分問題の側面があります。

 戦後40年に渡って蓄積した国民の貯蓄は、何もしなければあと3年で底をつきますから、配分問題はある意味終息します。その後いずれかの時期に破たんするわけです。 その議論はこの場にふさわしくないので、他に譲りましょう。

 我々が配分問題以上に議論すべきは、我々が生み出す総付加価値の向上です。高度成長時代は、生産性の向上と旺盛な需要伸長のおかげで、国民が生産する総付加価値が大きく増加し、仮に能力に劣る政治家、経営者が配分を間違ってもほとんどの国民は生活が豊かになることができました。 それが20年前ほどから需要が後退し、生産性も頭打ちになった結果、どこかを豊かにしようとすると、別のどこかがとばっちりを受ける社会になっているわけです。 この辺りは一橋大学の林文夫教授「経済低迷の原因と制度」(勁草書房)に詳しいので、参考としてください。

 これを打開するには、我々が生み出す付加価値を再度上昇させるしかありません。とはいえ需要は低迷しているので、これまでと同じ製品、サービスを提供を増やしたのでは、不要なもの=価値のないものを作るだけで、付加価値ではありません。この飽食の時代にありながら、それでも欲しいと思えるもの、さらに生活を豊かにするサービス、値段にうるさい新興国の消費者ですら欲しいと思うもの、すなわちイノペーティブな製品、サービスを生み出すほかはないのです。

 これは政治ではなく、国民一人ひとりが死ぬ気で考え抜かないと生まれません。現にイノベーションを提供している個人、企業は現代でもしっかり利益を上げています。過去の栄光にすがり、努力が不足した個人、企業が低迷しているのです。政治ができることは個人の能力と意欲を高める支援と、脱落した人へのセーフテ...

ィネットだけです。北欧の国フィンランドではなけなしの予算を教育につぎ込んで、GDPの成長に成功しました。イノベーション創出に実効的な教育に予算を集中し、国民はそれに応えなければ衰退してしまいます。

 我々のために政治が何をやってくれるか、ではなく自分たちが時間と資産をどのように投資し、どんなイノベーションを起こせるか、を考えなくてはなりません。

 ものづくり工学マトリクスとものづくりドットコムで、そのムーブメントを促進していきたいと熱く思っています。

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